ブルーピリオド第3話「予備校・デビュー・オブ・ザ・デッド」感想
前回の感想記事

第3話感想
実は前回からそうだったんだけど全く気づいていなかったが悪友達いつのまにか姿さえも見せなくなってたな、所詮はあの3人は最初の主人公の人となりを説明するためだけの使い捨てキャラだった。
世田介が「セカイくん」と呼ばれてる理由はそういうことね(名前を縦書きにすると・・・)。
堅物天才少年、関西弁の変わり種の男、髪の色が独特な美術一家の末妹、心はオトメのLGBTな男子(これはユカちゃんこと龍二だけど)とキャラクター性のある人間が増えた、とともに藝大に合格するためには中途半端なワルの八虎少年が高校の美術部でチヤホヤされてイキってるだけではダメなことを改めて思い知らされることとなるストーリー。
さしずめ今回、美大予備校に通いだしてからが当作品の本番といったところかな。
とともに、表現つながりで見た目は男だけど心はオトメなユカちゃんの自己表現の話にもなってたのね、
まずはメインの美術の話だけど、美術予備校に通うにあたり自分では俺の画イケてるんじゃね?って自画自賛しててもそれは美術の本質を知らない井の中の蛙にすぎなかったことが開示された。
まともな人間が変な意味で個性的なやつらを見て踵返してまともな人間に戻るか、それとも自分もその個性的なやつらの一員に加わるかの分水嶺がここ美大予備校だからね、無論美大に通う人間もそれはそれは個性的な面々で、画家となるとさらに突き詰めた、クズと形容されるような人間しかいないわけだから。
美術の才能は数式でも文章の読解力でも解き明かせないような言葉では言い表せないようなところにあるからね、それは画でなくても写真家も作曲家も漫画家もお笑い芸人も役者も同じことであるが。
この場合学業の成績は極端に良いか極端に悪いかの二通りになるのかなあ、極端に良い場合は性格が悪い意味で終わってて卑屈ぼっちになっている、極端に悪い場合は性格は比較的普通、それでも平凡ではない性格をしてるが美術だけに特化した頭になってるって感じ。
そして森さんがなぜ予備校での成績が下から5番目だったのか、それは個性的な面々の描く画を見たり自分が描く画がどこかしっくりこないようになってきたのは、誰か著名な画家のうわべだけをすくった猿まねにすぎないことを指摘されたりしたことで自分や彼女の人となりがあまりにもまともすぎでそれゆえに描く作品がどれも凡作だったからってのをそろそろ思い知ることになるのかな八虎も。
両親や先生のような大人たちにより型にはまった人生を歩んできた人間が知ることができないところに本質はあるからね。
Aを見ろっていわれてBを見るような人間が思いにふける、そこで生まれた想像力ってのも問われていくわけで、石膏像をデッサンせよと正面にいるはずなのにだれも見ていない斜め後ろからの画を描いてくるなんてのは一般常識を持ち合わせた人間ならばまず考えが思いつかないしな、でもそんな着眼点がないと美術の学問としての面白さにはたどり着かない。
でもこのへんの美術なる人々の感性で訴えかける分野を学問的に学ぶにあたり、高校でも友達付き合いでしかワルをしてこなかった性根はマジメな八虎が本質的に理解するのは遠い先の話になりそうな気もする、本当に才能のあるやつは幼稚園やあるいは小学校の図工の授業ですでに頭角を現してるものだからなあ~。
ちなみに平凡な小学校~中学~高校生活を送ってきた私にそんな美術的センスは皆無だった。
美術の予備校に行ったはいいけど、もうちっと美術の知識について視聴者にも踏み込んで教えてほしいかな~ってのはあるな(原作ではそのへんも描かれてるけど軒並みカットされてるらしいね)。
ついでLGBTなユカちゃんが佐々木さんとデートをして性別を明かしたら即フラレたことだよ、「俺は普通だから」って理由でフラれたみたいだけどその「普通」ってなんやねん、一言でいうと「そっちのケはない」だけだろって話になるよなユカちゃんにとってはな。
佐々木さんも最後にやさしく抱きしめて去っていってからに、それはなんだ、心はオトメに育ったあなたに対する哀れみかなんかの情をもってしまったってことなのかいな。
自分のような人間でも世間一般的に言う男の格好をしないとまともな恋もできんのかい、毛をそってJKと何ら変わらない格好をするのは悪いことなのかって感じでな。
でもそんなことを次の日にはケロッと忘れてるあたりが変人せしめてるとともに、その性別に対する抑圧と自由を芸術の方向へと発展させてるのがユカちゃんで、それは私たちのような人間が一方的に性別の話をデリケートに捉えすぎているのかもしれないね。
次回の感想記事

コメント