古見さんは、コミュ症です第3話「コミュ05「あがり症です。」コミュ06「携帯電話です。」コミュ07「委員会決めです。」コミュ08「間違い電話です。」コミュ09「齋藤さんです。」」感想
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第3話感想
たけのこニョッキ、斎藤さんゲームま(の元ネタのみのりかリズム4)、指スマなんて全てがなつかしいゲームが矢継ぎ早に出てくるもんだから原作者の世代がある程度わかってきてしまう。
つまりはこれらのゲームがテレビのバラエティー番組を通して流行ったのはだいたい2003年から2004年くらいだからあのときに学生、生徒だった世代ってこと。
だから原作者は90年代の生まれになるわけでして。
さて、今回は古見さんに新しい友達がまた一人増えて、新しい連絡手段を入手し、友達を通してクラスのイケてるグループとの遊びにも参加できたエピソード。
上理さんの思想が危険だ、古見さんの犬にならなってもいいって本当に犬になるとか危なすぎる。
古見さんが手に入れたのがスマホではなくてガラケーってのがまたイカしてるね、もはやスマホは持っている、というよりかは「みんな持ってるから」持たされているもの。
持たないと属してるコミュニティの人たちから時代遅れとしてバカにされて仲間外れにされるだけのデジタルガジェット。
なんで日本人は揃いも揃って林檎マークの会社のクソ高いスマホをボロボロになっても使っているのかというと、それを持たないと人間として認められないから。
つまりはデジタルに疎いままの人たちがこれを使わないと時代に乗り遅れて仲間外れにされる、って理由で使ってるのが林檎マークの会社の端末。
そんな林檎スマホだらけの日本においてそんな流行り物には我関せずの態度を取り、友達は周りの協力の甲斐もあって少しずつできつつあるけれど自分はうまく会話ができないから最低限のコミュニケーションが取れればいいって割り切ってガラケーを使う古見さんが妙にいとおしい。
そして、なんだか似たような匂いがする子に積極的にアプローチしたいけれど結局自分から話せないからずっとするどい目力で見つめるだけになってしまう古見さんがやはりかわいらしくてたまらない。
ガラケーの電話帳のトップを只野にして、一方的だったけれど話せた!と高木さんよろしく布団でバタバタしてるあたりなんだか若干友達以上の目で見ている感がなくはないな。
でも友達ができたおかげでクラスのいけてるグループとの接点も持てたわけだし、もうそのイケてるグループの子も友達であるとみなしちゃえよと思うんだけど、これもまた一回遊んだだけでは友達にはならない、と古見さんのなかでは友達である、友達でないの基準について線引きしてるんだろうな。
今回のエピソードで古見さんは人間を通り越して神と呼ばれるまでになったわけだけど、なぜに彼女はみなから神格化さえされるのかふと考えてみた。
その結果、やはりデフォルメされていないときの立ち姿に独特の色気がムンムンに出ているのではないか、と結論がついた。
高校生ですでに背が高くて細くてミニスカートが似合う色っぽい少女なんて渋谷原宿を見渡しても10万人にひとりいるかいないかってくらいレアな存在なんだけど、そんなレアな存在なのよ古見さんは。
変わって学級委員なる役割を全て押し付けられる只野、もはや古見さんと唯一話してる男子だからって理由の単なるやっかみにしか見えないわな。
しかしまあ古見さんがひとり渋谷や原宿にいたらチャラ男から声かけられまくってどうしたらいいかわからなくなってしまって、助けを呼びたくても呼べなくて困ってしまうから絶対誰かといたほうがいいだろうなこれ。
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