シャドーハウス第1話感想:シャドウのケイトのもとにお仕えの生き人形がやってきた

2021年春アニメ



シャドーハウス第1話「シャドーと生き人形」感想


アニメ公式サイト

TVアニメ「シャドーハウス」-2nd Season- 公式サイト
「この館にはまだ“秘密”がある」2022年7月8日(金) 24:00より放送開始

第1話感想

今回は体全体が影で覆われている「シャドー」一族のケイトのもとに一体の生き人形の少女がお仕えすることとなり、少女がポンコツなのもあってか最初はお屋敷のからくりにとまどったり二人の関係がぎこちなかったりしたけれど、二人で過ごす時間が続くにつれて距離も近づいていき、初対面のときからケイトがどんな名前をつけようか保留していた少女にエミリコと名付けたエピソード。

まずはシャドウと生き人形の関係性と、ケイトと生き人形のエミリコの距離が縮まってくるまでが描かれた。

序盤から食いしん坊であれこれケイトの身の回りのものを壊しまくるおバカなポンコツっぷりを見せつけるけれど、底抜けの明るさと豊かな表情を見せる紺色の服を来た生き人形のエミリコと、普段は物静かなお利口さんなんだけれど身体が影で覆われて表情が全く見えなくて、不機嫌なときに出るススの量でどれだけ不機嫌、あるいは怒っているのかが分かる、だから人間なのか人外なのか分からない赤い服を来たケイト、それぞれのキャラクターを対比で見せてきた。

とりわけ表情豊かなエミリコは生き人形とは思えない、人間にしか見えない、そういうキャラクター性を持たせている。

後者、ケイトの役柄にはなんでか鬼頭明里がぴったり合うんだよな・・・

ケイトとエミリコの像をあまりにもわかりやすく対比で見せてくるってことは2人は人間の光と影、表と裏、建前と本音、真実とウソ、理想と現実みたいな対称的なものを具現化して示してるし示してくるってことでもあるってことだよね。

なりたい自分の姿=エミリコと今の自分の姿=ケイト本人、みたいな。

とりわけ印象的だったのはケイトは顔をじーーーっと見られると不安になることと目を見て話せないこと、ってこれ多くの日本人の閉鎖的な国民性でもあるじゃない、表情を読み取られたくないから伊達マスクする、目をじっと見られると怖く思えてしまう、言葉の裏にある本心を見られたくないからやんわりとウソも交えてオブラートに包む、本音を隠し建前の発言をする。

ケイトがエミリコの名前をなかなか決められなかったのは名前はその人にとっての顔でもあるから、名前が性格をかたちづくっていくから、名前で顔つきも決められる一面もあるから、顔が見えないシャドウにとって見える顔はクソ大事なものだからふざけた名前をつけられないのよね、家柄がいいところほど特に。

私の中学時代の先生も親類に生まれた子の名前を漢字二文字にしたらその子が短命だったから漢字一文字の名前をつけるならわしにしてる(だからその先生も名前は漢字一文字)、みたいな話をもううろおぼえながらも聞いたことがある、だから現実の世界においてDQNネームを付ける親は名前の価値を一切理解してないってことになるのよね。

本の登場人物の名前を一文字だけ変えたのは個性を与えるためでもあるよね。

あとは生き人形のパートナーができたら成人だと言っていた、これは現実世界でも成人すると自由度が広がるとともにその言動一つ一つに責任が生まれるように(別に未成年だから責任を負わなくてもいいと言ってるわけではないが)、生き人形、つまりは表情が見える子ができるによりケイトがずっと隠してこられた表情やそこから生まれる自由と責任が隠れることなく見えるようになるよってことなんだろう、成人になると怒りや機嫌を含めた感情は自分でどうにかしないといけないからね。

最後に生き人形にシャドウの服を着せるのは本当は禁止事項なんだけどケイトはあえて着せていた、シャドウにとって生き人形に自分自身の服を着せることは完全な存在になることって言っていたね、シャドウの姿で顔を隠すことで自分はいくつになっても不完全な存在であることを示すとともに、やはり生き人形は自分の理想の姿を投影しているってことだろうな。

逆にエミリコはエミリコで自分はケイトが言う完全ではないと言っていた、私はここがだめあそこがだめみたいなことを続けていたけれど、そんなもんよ、誰しも見た目も中身も完全な者なんていないってこと、俺は完全な存在だと言ってるのは世間知らずの奴かRPGのラスボスくらいなものよ。

ここから話が動くとするならばやはり「生き人形ができると成人したと認められる」点からになるだろうか。

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