うちの師匠はしっぽがない第10話「何でアテはあかんのか」感想
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第10話感想
大黒亭の屋号をかけて四天王からの試練をクリアすることになったまめだ、白團治からの自分が落語の登場人物になる試練はクリアし次は圓紫の試練、寿限無の演目を1週間以内に一言一句間違わずに覚えることになった、それはいいとこのお嬢ちゃんだった圓紫が弟子を取らなかった当時の大黒亭が唯一稽古をつけてくれた演目であり、まめだは周りのたぬきたちからの心無い発言を連想し心惑わされそうになりつつも坐禅を組み修行に励み1週間後、圓紫の前でヘトヘトになりながら寿限無を披露していった。
縁起が良くなるようにと我が子に寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の〜からはじまるとにかく長い名前をつけた小噺。
落語家はこの小噺を覚えるのが当たり前、なぜならこれは前座が高座にあがるにあたり最初に覚える超基本的な話だから。
おおおお、寿限無に出てくる縁起が良さそうな名前全部つけたら長くなったっちゅう子の名前から噺家の屋号亭号の大きさ、果ては根本的な芸とはなんぞや、師匠が弟子を取るとはなんぞやってところまで話が発展してった。
圓紫も普段はゆったりした話し方で何も考えてないやろって思われがちだけど芸のこととなるとやはり真剣、芸とはなにか、答えのないゴールのない道のりを一生涯かけて旅をしてた。
寿限無を覚えよってのはただの試練ではなかった、念願叶わず当時の大黒亭の弟子にはなれなかったが唯一稽古をつけてくれたのがこの寿限無ってこともあって10分15秒の中には大黒亭の厳しい教えがぎゅぎゅっと濃縮されていたとそういうことか。
ならば師匠と同じ亭号は名乗れなくとも師匠の芸に近づきたい、そのために自分には何ができるのか、そもそも師匠のような偉大な芸は自分にはできるのか、常に初心に返り芸のあり方を見直す、それくらい大きな話になっていた。
まめだも寿限無覚えられんと下手な小細工を使わずに一週間人里離れた山にこもってまで真摯に稽古に取り組む、それが本来先代からの遺言で弟子を取らない取り決めになっていた師匠と同じ亭号、師匠がつけてくれた大事で立派な名前を名乗ることの大きさであり、落語会、いや、笑いで日本を化かせるっちゅう未来そのものを師匠から託されたことへのお返しであるっちゅうめちゃくちゃクソマジメな展開、よかったで。
なにがお前自分の子どもにDQNネームだキラキラネームだ、すくすく育っていき社会に出ていくことを考えてみい、30年40年後には親も亡くなり我が子が一家の顔になるんだぞ、親は我が子に将来こういう子になってほしいって願いを込めて命名し額縁に飾る、それくらい名前ってのは大きいんだけどそんな一家の顔の名前がキラキラネームとか本人もそうだけど周りが泣くぞ、名前見ただけで親の知性がまるわかりだし、育ちの良し悪しまでもわかっちゃうもの。
なぜキラキラネームの子が短命に終わるかバカでも分かるべ?親が自分めちゃめちゃ大好きで、子を大事にしないからだわ、子はあなたに服従するペットじゃねえよって話だ。
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