うちの師匠はしっぽがない第11話「オレの芸、お前で終わらせてくれよな」感想
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第11話感想
大黒亭文鳥は人気落語家であるが「大黒亭は俺で終わり」と弟子を取らない方針をとっていた、だがある日文鳥は初弟子としてひとりの少女を連れてきた、そんな彼女は伊勢の地にて人間と戦って傷を負った一匹の白ギツネ、七度狐でのちの文狐になる人物であった。
文狐は前座として文鳥の身の回りの世話をするようになったがつっけんどんな態度を取っていたことから兄弟子姉弟子の圓紫や白團治からはほとほと呆れられていた、そんななか、文鳥がごひいきから呼ばれた高座の先に同席した文狐はごひいきが蒸気シャベルで社といっしょにバケモンを潰そうと画策していることを聞きかつての人間との戦いを思い出し憤慨するも文鳥がお酒をぶっかけて殴り仕返しをしてくれたことで少しは鬱憤が晴れたようだ。
そんな文狐の前に文鳥は今度の寄席でとっておきの落語、百年目を披露していく、その一席を袖でずっと聞いていた文狐は古き良き時代のあたたかい人間たちの姿を思い出していく。
その後文狐はわずか5年で真打に昇進したがその一方で文鳥は病に倒れてしまい、俺の芸はお前で終わらせてくれと遺言を遺して天逝してしまった。
ラスト、夜の橋にて洋装まとった文狐がかぶっていた帽子が風に飛ばされていったところで終わったがそれをちょうと川のほとりでまめだが拾ったのが第1話のAパートとなんとつながっていた。
平成狸合戦ぽんぽこならぬ大正狐合戦コンコンはじまってた、しかしまあヤオヨロズの神がいるとされてる日本において、神様を大事にしない人間もそれはそれで罰当たりちゃいまんの?
だいいち、寄席の人間も神棚をほこりまみれにしよってからに、あれ寄席の満員御礼と落語界の永遠の発展を祈願しての神棚でしょうに、その祈願が達成したら放置ですかそうですか。
神様は日頃の行いをちゃんと見てるよ!
なんと、文狐師匠の正体は七度狐だった、名前見ればある程度は正体はわかるんだけど改めて描かれるとなかなか感慨深いな、ちなみに実は七度狐も上方落語の演目で存在してるのよね。
オヤシロ壊されて自分が殺されそうになった件の仕返しは落語って文狐にのっちゃそりゃないよこっちは危害加えられてるんだよって展開かもしれないが、平和的に人間をばかそうぜってなると芸の道に進むしか無くなってしまうんやごめんな。
文狐はん、前座の頃から圓紫や白團治にえらい世話になっていたのな、なお、あのふたりは誰の弟子なのかは不明だった。
杜を破壊し自分に危害を加えようとした人間に復讐をしようと文狐は考えていたら人間も人間で毎日生活に四苦八苦してたまには落語で笑って日々のストレスを発散する、そんな日常には勝てないと来たか。
人間のあたたかさを知るのがこれまた落語の演題ってのがまたおもしろいよね、百年目って登場人物が多い演題だからなおさらそう思うよ。
読み解きたいのは亡き文鳥師匠の遺言である大黒亭をお前で終わらせろの意味するところよね、本来は前回描かれたとおり彼は大黒亭の亭号を自分で終わらせるつもりで弟子を取る気がなかったのに、なぜ傷ついた文狐をわざわざ伊勢の社から拾ってきたかだよ。
圓紫のことは弟子にする気まったくなかったのにさ。
昨日1日考えた結果、文鳥は自分の芸を終わらせても、本当は亭号を終わらせるつもりはないのでは?との結論に至った。
つまりは、大黒亭の亭号を誰かに引き継がせることは考えていたが、どうにもふさわしい人物が見つかりそうにないと思っていたところにのちの文狐となる白ギツネと出会い、こいつになら大黒亭の芸をあらよっとと別もんに化かせるのではないかと弟子にすることにした…
同じように、文狐もまめだなら大黒亭の芸をまたまた化かせられるだろうと弟子にした…
どちらも、師匠からはお前の芸で人を化かしてほしいとの意味が込められている、とりわけ文鳥の芸は他人を観察し笑いにすることらしい、今でいう中川家がようやっとる形態模写になるのかなあ。
いや、中川家の形態模写はモデルとなった人物をバカにするって意味はなくて単純に純粋に笑いに使えそうってだけだからちょっとどころかかなり違うか。
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