うちの師匠はしっぽがない5話感想:三味線に扮したまめだが自分はまだまだですと思い知る話

2022年秋アニメ



うちの師匠はしっぽがない第5話「メジロ、ハマチ、ブリ」感想


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第5話感想

たぬきだとバレたら破門だと文狐から言い渡されているまめだであったが、小糸にははじめからバレていた。

ある日、小糸は文狐と共演することになりその演目がはじまる直前に小糸の三味線の弦が切れてしまうアクシデントが発生、しかもその演目はむずかしいという。

まめだは三味線に化けて場を乗り切ることにした…が小糸が力を入れすぎてしまい下げにさしかかろうとしたときに思わず声がもれてしまった。

文狐のアドリブで笑かしたことでことなきを得たが、まめだは化けが解けないようにするのに集中して講座を聞く余裕がなかった、まだまだ前座にはならないことを実感した。

中座って上方落語で呼ばれていた身分で、江戸落語で言うところの二つ目。

いつになったら前座なれんねん、見習い3年は必要や。

いつになったら中座なれんねん、そこからさらに10年やと芸の道は長いことを実感させられる。

だから中座になれるのでだいたい30代ごろ、落語会では中座になるとようーやく一人前と認められ自分の時間が取れるようになる(かわりに仕事は全部自分でとってこなければならない)けれど、そこから真打になるのにさらに年数かかる(しかもすでに真打多すぎてなかなか昇進できない時代すらあった)から、手っ取り早く何者になりたいと考えてるイマドキの若い人にとっては中座になるまでの足掛け13年以上、いや、前座になるまでの3年でさええらく長く感じられるのではないかなと思う。

おまけにいまの日本では失敗を許してこなかった反動で失敗したくない(だからまわりは答えを先に提示してくれ、舞台を整えておいてくれ)けれど給料は欲しいっちゅう人が増えているこのチグハグさが浮き彫りになってるからな、足掛け年数の長さを嫌い落語家を志す人も減ってるのではないかとは思う。

迷惑YoutuberがYoutubeで悪目立ちして炎上してPに厄介になるのとはわけが違うからね、あれこそ承認欲求のかたまりであるが芸の道はそれとは真逆のものである。

ブロガーもgoogleの検索エンジンに自分のブログが認知されるまでに2年はかかると言ってたな。

あれだけ講座にはよ出させろと言い張っていたまめだも三味線に化ける形で講座に出てはじめて自分の芸はまだまだやれそうにもないであることをいやが上にも実感させられることとなる、いまの自分にはやっちゃんの前で一席できても寄席での実力は皆無であると思い知らされた話であった。

芸には多少の自信があって、やったれムンムンかましたらぁと芸人になったらお客さんも目が肥えてるから全然自分の芸ができず鳴かず飛ばずで苦しんだ若かりし頃のあの女芸人と同じ境地よ。

いや、まめだの場合は見習いだから正確にいうとその境地にすら全然達してない、ずっと手前の場所にいるんだけれども。

一人前の落語家になるには修行期間はうんと長いことを思い知ったね。

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